「オーバーフェンス」を観た。
ついに念願の「オーバーフェンス」を観ました。
祝日の昼過ぎということもあり、超満員でした。
お隣の席の高年おじちゃんは、終始唸っていましたが、他の客人はいずれも礼儀正しく、
上映中なのにスマホいじって、ちょいちょい光らせてる奴とか、絶対に食べきれない量のポップコーンをひたすらむさぼりついてる奴等とかは一切いませんでした。
やっぱり、映画は人を選ぶのかなあ…って思いました。また、こういう映画を一緒に観て、その後いろいろと感想を語り合えるパートナーが理想だなあと思いました。
さて、映画の感想ですが、やっぱり函館が舞台の映画はどうも感慨深くなっちゃいます。
というのも、僕は就職して最初の赴任地が函館であり、それからその地で5年間も過ごしたからです。
20代前半~後半をこの函館で生きてきたので、ホントに思い入れが強いです。
話は映画に戻りますが、やっぱり「海炭市叙景」、「そこのみにて光り輝く」に肩を並べるぐらい、良い映画だったと思います。
何か、この三作品に共通しているのは、いずれも「決して人生の成功者ではない人びと」にスポットが当てられているということです。
それでも、決して必死になって生きている、というわけではないけど、近くにいる男もしくは女と一緒に日常を共にしている。
そこから自然と愛情や友情、とにかくあらゆる「情」が湧いてくるのです。
そのような過程を、この三作品で追体験しているような感じがして、その度にあの函館での5年間を思い出し、つい当時の自分に置き換えてしまうのです。
さて、この映画で思わず呆然としてしまったのは、
オダギリジョーが別れた妻に会った後、今までは決して自分に落ち度は無かったと思っていたのが、実は自分が元妻を壊してしまったのだと解ったというシーンです。
何故なら、その元妻は別れた後の方がとても元気になっていたからでした。
これは、正に自分の境遇にもあてはまりました。
自分も離婚をしましたが、ほとんど自分に落ち度はないと思っていました。そして元妻と先日会った時、やはりこの映画と同じくとても元気な姿を見ることができたのです。
そして、元妻に元気を無くさせたのは、紛れもない自分であり、自分が元妻の心身を壊してしまっていたんだなあ、と思ってしまいました。
じゃあ、次こそは女性を幸せにするように頑張ろう!という綺麗事を言うつもりもないし、まだそんな自信もないです。
それでも自分は「人を好きになりたい」という人間の本質を放棄せずに日々を過ごして行きたいと思いました。
んで、やっぱり理想のパートナーは、このような映画を好んでいて、「今度、函館に行こうよ!」と言ってくれる女性ですね(^^;